千葉県市原市の巨大六角遺跡『海保大塚古墳』

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千葉日報謎の巨大六角遺跡 民間から無償取得
2021年12月3日 05:00
(記事抜粋)市原市は、巨大な古墳を含む同市海保の土地を民間から無償で取得した。古墳は「海保大塚(かいほおおつか)古墳」と呼ばれ、墳丘の全長は60メートル(高さ約8メートル)もある。市埋蔵文化財調査センターによると、4世紀末の築造とみられ、この時期の円墳としては県内最大級という。この地一帯を治めた有力者の墓の可能性が高く、六角形という極めて珍しい形状をしているなど謎も多い。市は「国指定史跡を目指す姉崎古墳群を構成する主要古墳の一つ」と重要視している。土地は大手建設会社の大成建設(東京都新宿区)が1960年代から所有しており、2万5750平方メートル(評価額404万円)を7月29日付で無償譲渡。市は寄付を受け今月1日、表彰状を贈呈した。(中略)古墳の形状は、六角形2段に円丘が乗り、その上に方形の3段が築かれた計6段で構成。確認調査の結果、築造時は全体が円形の墳丘だったが、江戸時代に土が盛られ、複雑な形状に変わったことが判明した。なぜ六角形にする必要があったのか、理由は不明という。地元では、古墳は出羽三山信仰の場として利用され、県指定無形民俗文化財「大塚ばやし」が演じられていた。このことから、同センターは「六角形は信仰と何らかの因果関係があるのではないか」とも推測する。

梵天に見る房総の出羽三山信仰

千四百年の歴史を刻んだ“日本人の心のふる里”
出羽三山-羽黒山(標高414M)月山(標高1984M)湯殿山(標高1500M)-は「出羽国」を東西に分ける出羽丘陵の主要部を占める山岳である。太古の大昔は火山爆発を繰り返す“怒れる山”であった。時が経ち、再び静寂を取り戻した頃、山には草が生え、樹木が生い茂り小鳥や獣がもどってきた。その時、麓の里人たちはそこに深い不思議な“神秘”を感じた。「あの山こそ、我が父母や祖先の霊魂が宿るお山だ・・・」「我らの生命の糧を司る山の神、海の神が鎮まっているお山に違いない・・・」それから更に時を刻んだ推古天皇元年(593年)、遠く奈良の都からはるばる日本海の荒波を乗り越えて一人の皇子がおいでになられた。第三十二代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子、その人である。イツハの里・由良(ゆら)の八乙女浦(やおとめうら)に迎えられ、三本足の霊烏に導かれて、道なき径をかき分けたどりついたのが羽黒山の阿古谷(あこや)という、昼なお暗い秘所。蜂子皇子はそこで、来る日も来る日も難行苦行の御修行を積まれ、ついに羽黒の大神・イツハの里の国魂「伊氏波神(いではのかみ)」の御出現を拝し、さっそく羽黒山頂に「出羽(いでは)神社」を御鎮座奉られた。今を去ること、千四百年前の御事である。

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市原市埋蔵文化財調査センター:遺跡ファイル

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