🌏歴史『なぜ日本は植民地化から逃れたのか?』

学校では教えない歴史 なぜ日本は植民地化から逃れたのか?外国人から見た日本の姿【なるためJAPAN】 - YouTube

今から170年前、アメリカのペリー提督率いる4隻の異国船が浦賀沖に現れ、日本は開国します。この時、日本が植民地支配される瀬戸際だったと言われていますが、実は、それ以前から日本は何度も植民地支配の危機に直面していたのです。ではなぜ日本は、その危機から逃れることができたのでしょうか?今回は、ペリーや外国人の視点を踏まえつつ、日本がなぜ植民地支配から逃れることができたのか、その理由についてお話ししていこうと思います。

00:00 | はじめに
01:23 | 植民地政策とは何か 大航海時代のスペインとポルトガルの影響
05:42 | 理由1:鎌倉武士団と幕府の情報力が優れていたから
07:06 | 理由2:神道を重んじ、国民の思いが一つになっていたから
08:29 | 理由3:宣教師達の野望を見抜いたから
11:11 | 理由4:戦国時代の軍事力が充実していたから
12:16 | 理由5:そもそも日本は地理的に孤立していたから
13:47 | 理由6:江戸幕府がペリーと対等にわたりあったから
17:48 | 理由7:江戸時代の教育水準が高かったから
21:39 | 感想:「造り変える力」

戦後、日本の学校教育では、日本の歴史観ではなく、戦勝国や隣国など他国の歴史観
基づいた教科書が使用されてきました。その結果、戦後の日本人は「日本は悪いことをした国」という自虐史観を無意識に刷り込まれてしまいました。そして現在では、戦勝国に言われたことを鵜呑みにする習慣がつき、日本人の胆力、判断力が失われ、それはまるで”属国状態”になってしまった、との声も聞こえてきます。しかし歴史を振り返って見てみると、日本はこれまで何度も困難な状況を乗り越えてきました。戦争に敗れ、資源もない中、世界有数の経済大国にまで上り詰めたのは奇跡とも言えます。さらに、日本には”作り変える力”があります。例えば、大陸から漢字が入ってきたとき、日本人は漢字を採用しても大陸の発音は使わずに、日本語読みのまま、漢字の使い方を作り替えました。芥川龍之介は『小説神々』の微笑の中で、日本人の力は「破壊する力」ではなく「作り変える力」である、と結論付けています。アニメやゲームは日本発祥ではありませんが、日本はそれを作り変え、日本人の多様性を尊重する価値観とともに、世界に広めました。そして、その評価は日本に逆輸入され、再評価されてきています。これらはほんの一例ですが、外から入ってきた価値観をそのまま受け入れるのではなく、日本人の「作り変える力」を発揮し続けていくことで、我々は現状を乗り越えていけるのではないでしょうか。